DLC(ダイヤモンドライクカーボン)被膜は工具や摺動部品の高寿命化のために近年実用化が進んでいる。しかし,DLC膜は膜中に存在する水素量の違いによって硬さなどの機械的特性が変化する。そのため,膜中の水素を定量的に測定し,膜の品質安定化を図っていくことが必要である。そこで本研究では,三次元イオン注入(PBII)技術を用いて作製したDLC膜に対し,高エネルギーイオンビーム技術を用いた共鳴核反応分析(RNRA)法と弾性反跳検出(ERDA)法の2種類の方法によって膜中の水素量を測定し,DLC膜の水素量測定技術としての有効性について評価した。 キーワード:ダイヤモンドライクカーボン膜, 三次元イオン注入, 共鳴核反応分析法,弾性反跳検出法, 水素 Hydrogen Analysis Techniques for DLC Films Haruyuki YASUI, Kaoru AWAZU and Hiroshi NARAMOTO The lives of machining tools and tribological parts have been considerably improved by DLC(Diamond-like Carbon) coating. Hydrogen is a very common contaminant in DLC films. It can strongly influence on mechanical, physical and chemical properties of the films. The analysis of hydrogen is therefore a crucial problem in the process of preparing the films with the required properties. Ion beam techniques using nuclear reactions are established methods for the quantitative determination of hydrogen concentration. In this study, DLC films were formed by PBII(Plasma Based Ion Implantation), RNRA(Resonant Nuclear Reaction Analysis) and ERDA(Elastic Recoil Detection Analysis) were adapted to evaluate the hydrogen content in the DLC films. Keywords:DLC film, PBII, RNRA, ERDA, hydrogen 1.緒 言 DLC(diamond-like carbon)膜は,炭化水素系ガスをプラズマにした高周波法1)やマイクロ波法2)および黒鉛バルクを利用するスパッタ法3)やイオンビームアシスト蒸着法4)などで生成され,機械や電子分野で使われる部品や工具・金型等に広範に利用されるようになっている。これは, ダイヤモンド膜と違い,成膜後の表面が非常に平滑で,後加工が不要であることによるが,DLC膜は,その製法の違いや成膜条件により,膜の物性や機械的性質,特に硬さが異なる。そのため,膜中に存在する水素の量を非破壊で定量的に測定することが必要になるが,水素原子が内殻電子を持たないため,通常の内殻励起後の放出X線を検出する表面分析法が適用できない。 これまで,我々はDLC膜中の水素量を測定するために,高エネルギーイオンビームを利用したERDA(Elastic Recoil Detection Analysis:弾性反跳検出)法5)による検討を行ってきた6)。この方法は,低入射角度で入射させたHeイオンと衝突した水素イオンを前方向に反跳させ,その反跳した水素粒子のエネルギー分析を行う方法であるが,斜入射・斜射出のため,測定試料面の均一性の問題や深さ分解能に対して難があった。そこで我々は,さらなる高分解能を求めて共鳴核反応を利用したRNRA(Resonant Nuclear Reaction Analysis:共鳴核反応分析)法7)により,薄膜中の水素含有量の定量測定を検討した。 本報では,トルエン(C7H8)やベンゼン(C6H6)ガスをプラズマ化して作製したDLC膜について,成膜中に取り込まれた水素をRNRA法により定量的に解析する方法を検討するとともに,同一条件で作製したDLC膜をERDA法により測定し,測定法や測定データの特徴を比較検討した。そして,DLC膜中の水素量測定技術の新たな手法として提案した。 2.試験方法 (図1 DLC膜コーティングシステムの概要) (図2 RNRA法の概略) (図3 ERDA法の概略) 2.1 DLC膜の作製 試験に供した試料は,Siウェーハを基板として用い, 新しく開発した図1に示すようなDLC膜のコーティングシステム8)を使ってDLC膜を成膜した。まず,真空容器中にC7H8ガスを導入し,誘導結合型高周波(ICP)プラズマ(100W)を点火して,試料をプラズマ中に浸漬したのち,負の高電圧パルス(-2kV, plus width: 20ms, duty ratio: 5%)を印加して試料表面にDLC膜を成膜した。この方法は,PBII(Plasma Based Ion Implantation)法として知られている9)が,本研究ではこれをDLC膜の成膜に応用し,DLC膜中に含有する水素の測定用試料とした。 作製したDLC膜の膜厚は約1.2mmである。それぞれの分析測定には,試料を必要な大きさに切断して,試験に供した。 2.2 RNRA法による水素量の測定 RNRA測定は,3MVタンデム加速器(日本原子力研究所高崎研究所TIARA施設)を用いた10)。測定用試料は,位置決め用のサファイヤ発光体,水素含有量が既知の非晶質Si標準試料(含有量:14.4at%),イオンプレーティング法で成膜したDLC膜とともに,試料台に並べて固定し,超高真空中(真空度:10-6Pa)に半日以上置いた後,試験に供した。 水素の測定は,6.385MeVに加速した15Nビームを試料に照射し,1H(15N,αγ)12Cの核反応に伴って放出されるγ線の内,4.43MeVのエネルギーを持つγ線について,照射数20000cts,照射時間120s当たりのγ線収量を測定した。また,膜中の水素イオンの位置評定のため,15Nイオンのエネルギーを6.4MeVからγ線収量が収束するまで10keV毎に変化させ,それぞれのエネルギーに対応する位置でのγ線収量を測定した。検出器は,NaIシンチレーターで,真空チャンバーの外側に設置し,試料から2cm離れたところで測定した。γ線収量は,含有量が既知の標準試料を用いて水素量を校正した。測定装置の概略を図2に示す。また,RNRA法によるDLC膜の損傷や測定精度について検討するため,同一試料の同一箇所を繰り返し測定した。 2.3 ERDA法による水素量の測定 ERDA法によるDLC膜中の水素量の測定は,1.7MVタンデム加速器(産業技術総合研究所中部センター)を用いて,2.8MeVに加速したHeイオンを試料に入射角75度で入射し,入射Heイオンにより反跳された水素を検出した。アブソーバとして半導体センサ表面に被せた厚さ12mmのマイラー膜を使用し,水素以外の反跳粒子(炭素,ヘリウム等)は除去し,散乱角30度にて検出した。この時の真空容器内の真空度は,8×10-6Paであった。図3にERDA法の測定概要を示す。 3.結果と考察 3.1 RNRA法による水素量測定 図4は,(a)水素含有量が既知の非晶質Si標準試料,(b)PBII法で作製したDLC膜,(c)イオンプレーティング法で作製したDLC膜について,RNRA測定を行った結果である。横軸は15Nイオンのエネルギーであり,試料内部(深さ方向)に対応し,縦軸は,1Hと共鳴核反応して放出されるγ線収量を示す。 まず,(a)標準試料についてみると,6.47MeV付近にピークが観察される。この位置は超高真空中を通過した15Nイオンが最初に水素と核反応するところであり,試料表面に吸着した水分子の水素によるものである。6.6MeV以上ではγ線収量は一定値を示しており,試料内に含有する水素の分布が均一であることがわかる。 一方,(b)のPBII法で作製したDLC膜では,6.47MeV付近で標準試料と同様にγ線収量が増大していて,この部分がDLC膜の表面と考えられる。その後は,なめらかに推移していて,標準試料の場合のような鋭いピークは観察されない。これは,DLC膜の表面に近くなるほど水素濃度が小さくなっているためと考えられる。さらにエネルギーが増大すると,プロファイルがなだらかな波状のうねりがみられる。これはDLC膜の成膜過程において膜中に取り込まれる水素が多少変動していることを示しているが,この変動は非常に小さく,標準試料のγ線収量1335countsで14.4at%から校正すると,PBII法によるDLC膜の水素量は24.3at%±0.4at%となる。 (c)は,C6H6ガスを用いてイオンプレーティング法により作製したDLC膜中の水素量を測定した結果である。測定結果は,(b)の場合とほぼ同じ傾向を示し,γ線収量が多少大きくなっているだけである。(b)と同様に校正すると24.9at%±0.3at%が得られた。 これらの結果から,PBII法とイオンプレーティング法によるDLC膜中の水素含有量は,1%以内の精度で一致した。これは,両法ともに原料ガスが同じ六員環構造をもつ C7H8とC6H6であり,かつ-2kVのパルス電圧と定電圧の違いであり,製法に大きな違いがみられないためと考えられる。 3.2 DLC膜のイオンビーム照射耐性 RNRA法は,高エネルギーのイオンビームを試料の同じ位置に繰り返し照射して測定する方法であり,イオンビームの照射に伴い,膜中に含有する水素の濃度変化や膜構成元素の移動などの照射損傷が生じる11)と言われている。そこで,RNRA法で,6.70MeVの15Nイオンを20回以上繰り返し,その都度γ線収量を測定した。その結果を図5に示す。γ線収量は,2330±75countsで,測定値のばらつきは測定精度内にあり,水素含有量の測定においてはDLC膜の照射損傷は生じていない。 (図4 RNRA法によるDLC膜の水素量測定結果) ((a)非晶質Si標準試料,(b)DLC膜(PBII法), (c)DLC膜(イオンプレーティング法)) (図5 RNRA法によるDLC膜の照射耐性試験結果) (図6 ERDA法によるDLC膜の水素量測定結果) 3.3 ERDA法による水素量測定 PBII法により作製したDLC膜についてERDA測定を行った結果を図6に示す。横軸は入射Heイオンのエネルギーで試料内部(深さ方向)に対応し,縦軸は,反跳H粒子の収量を示す。図中の■プロットは,測定に先立ちタンデム加速器に付属するシミュレーションソフトRBXを用いて,表面や膜厚などの材料特性等を解析した結果であり,○プロットはDLC膜中の水素の測定結果である。DLC膜の表面は1200keV付近のスペクトルが急速に立ち上がっている部分であり,それより高エネルギー側では水素は検出されていないので,水素の吸着の影響は小さいと考えられる。また,DLC膜中の水素の分布は,表面近傍ではシミュレーション結果より多少大きくなる方向で分散しており,深くなるにつれて小さくなっている。これは,測定のばらつきではなく,RNAR法による測定結果でも述べたように,DLC膜の成膜プロセスにおける変動と考えられる。 いずれにしても,シミュレーション結果との変動は,±100counts程度であり,水素含有量に換算すると±0.5%程度となるので,DLC膜中の水素分布を精度よく測定することが可能であることが明らかになった。しかし,DLC膜中の水素含有量の定量結果は,RNAR法よりも4%程小さくなったが,この原因はシミュレーションや試料のセットによる機械的誤差等が考えられ,同一試料による校正法の検討が必要である。今後の課題としたい。 以上の結果から,RNRA法およびERDA法ともに水素量を精度良く測定が可能であることが明らかとなった。特にRNRA法は,Si中の水素分布に関して深さ方向の分解能が表面で6nm,0.4mmで20nm12)であり,深さ方向のプロファイルは特に優れており,DLC膜中の水素量に関してもイオン照射による影響もなく,精度良く測定できることがわかった。本手法は,DLC膜以外の薄膜にも応用が可能である13)ことから薄膜中の水素量定量測定技術として有効である。 4.結 言 PBII法により作製したDLC膜中の水素含有量を測定するため,RNRA法およびERDA法の定量評価性を比較検討した結果,以下のことが明らかになった。 (1)DLC膜中の水素の定量分析は,RNRA法では,膜表面に吸着した水素についてまで議論できる精度であり,最表面および膜内部での高精度な測定が可能である。また,DLC膜の測定では, 20回以上の繰返し測定でも測定値に影響せず,照射耐性のある膜である。 (2)ERDA法は,低入射のため吸着水素の影響は少なく,特に最表面において高精度に測定が可能である。 RNRA法は,DLC膜等の薄膜中の水素量を精度良く測定が可能であることから,薄膜中の水素量定量測定技術として有効な手法である。 謝 辞 本研究を遂行するに当たり,ERDA測定にご協力をいただいた産業技術総合研究所中部センターの宮川草児氏に感謝します。 本研究は,新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の地域コンソーシアム研究開発事業の成果の一部である。研究開発に携わった諸氏に感謝します。 参考文献 1)Grill, A.; Patel, V.; Meyerson, B. S. J. Mater. Res., 5, 1990, 2531-2537. 2)Kamo, M.; Sato, Y.; Matsumoto, S.; Setaka, N. J. Cryst. Growth., 62, 1983, 642-644. 3)Banks, B.A.; Rutldge, S. K. J. Vac. Sci. Technol., 21, 1982, 807-814. 4)舟田義則,粟津薫,嶋村喜三郎.先端加工.13, 1994, 83-89. 5)Konishi, Y.; Konishi, I.; Sakauchi, N.; Hayashi, S.; Hirakimoto, A.; Suzuki, J.Nucl. Instr. and Meth., B118, 1996, 312-317. 6)粟津薫,舟田義則,嶋村喜三郎,岩木正哉,宮川草児.第11回イオン注入表層処理シンポジウム予稿集.1995, 59-66. 7)Lanford, W. A. Nucl. Instr. and Meth.B66, 1992, 65?82. 8)粟津薫,安井治之,作道訓之.機械と工具.45-7, 2001, 89-92. 9)Conrad, J. R.; Radtke, J. L.; Dodd, R.A.; Worzala, F. J. Tran, N, C. J. Appl. Phys. 62, 1987, 4591-4596. 10)楢本洋,山本春也,鳴海一雅,青木康,阿部弘亭,工藤博.IONICS, 23-7, 1997, 35-42. 11)岩田忠夫.放射線と産業.79, 1998, 30-40. 12)Clerk, G. J.; White, C. W.; Allred, D. D.; Appleton, B. R.; Koch, F. B.; Magee, C. W.Nucl. Instr. and Meth., 149, 1978, 9-18. 13)安井治之, 広瀬幸雄, 佐々木敏彦, 粟津薫, 楢本洋.材料.50, 2001, 727-731. |
|
|
|